お祭りの楽しみ方
暴れ獅子の歴史
明治6年、赤湯の若者たちの手から生まれた獅子。
振りを持たないその獅子が、なぜ「暴れ獅子」と呼ばれるようになったのか。
赤湯の獅子には、「振り」がない。
「獅子舞」は一般に、豊作や慶事を神と共に喜び、舞いたわむれる姿をかたどった「振り」があります。しかし赤湯で明治6年から始まった「若者獅子」には振りがなく、一般の獅子舞とは異なる特色を持っています。
獅子が生まれる前、赤湯の村は飢饉・大火・疫病に立て続けに襲われていました。
日本全土に及んだ「天保の大飢饉」。特にこの年の飢饉では東北地方の痛手は甚だしく、死者は10万人に及んだといわれています。
赤湯で4年間に相次ぐ大火災。前回が82軒、後の回では126軒が焼失しました。
置賜地方で初のコレラが大流行。多数の人命が失われました。
その7年後、ふたたび大火に見舞われ96軒が焼失。
さらに5年後、またも大火。赤湯村民は復興への気力を喪いかけていました。
度重なる災禍のなかで、村は立ち上がる力を失いかけていた。
若人の力で、神の力を借り、村の隅々まで悪を払い、やり直そう
この声が上がり、若者組の手により獅子が作られました。こうして始まった「獅子渡行」は舞ではなく、渡行して村の悪を払い清めるためのものでした。
明治6年(1873年)はじまり人口増加と街の拡大に伴って道路が増え、渡行順路が定められると、獅子の前と後ろで思いがぶつかるようになりました。
前幕
黄色鉢巻
定められた順路通りに進もうとする。
後幕
白色鉢巻
「横道も村の内」とばかりに引っ張り返す。
このもみ合いの形から「暴れ獅子」と呼ばれるようになり、
現在の獅子の姿へと発展していったと伝えられています。
YouTube「14 ワッショイがこだまました」(投稿:正人加藤 さん)
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